檸檬の備忘録

私の言語と感情を詰め込んだ、自分のため誰かのための備忘録

文化差か?個人差か?の問題

こんにちは、檸檬です。

 

30日に結婚式参列の予定があるのですが、一緒に行こうとしていた友達にキャンセルを食らいまして…一人で行くことになりとても不安な私です。

 

私は新郎側の知り合いなのですが共通の知人がおらず、友達を誘うことになったのです。(韓国は全然知らない人の結婚式に行ってもいいみたい)

 

新郎はベトナムでちょっと有名な韓国人インフルエンサーなようで、彼のことを知っているベトナム人の友達を誘ったら、ちょっとためらいながらも「面白そうだから行く。」と言っていたので、一緒に行く人ができてよかったと完全に安心しきっていたところ。

 

当日の待ち合わせ時間場所の確認をしたところ、「知らない人の結婚式なんて行きたくもないわ」と一言。

 

行きたく「も」ないって…。

 

え~~~~。行くって言ったじゃん…

 

 

特に私への謝罪もなく、当たり前のように断る様子にちょっと腹が立ちながらも、私が彼女に期待しすぎてた?と自分を見返ったり。(いや、やっぱりムカつく。。。)

 

 

これが、日本とベトナムの文化差なのか?それともその子の性格の問題なのか?

 

わからぬ。

 

 

私がいつも友達と付き合う際に注意していること。

 

国籍の違う友達と付き合う際はそれぞれの文化が違うので、それに伴い思考方式も異なる。

 

個人の性格の差というものももちろんありますが、やっぱり一定の文化圏に長く住んできた人の性格は社会や文化の影響をある程度は受けているわけで。

 

だから、韓国に住んでいる者同士、韓国の生活方式に従いますが、性格やアイデンティティというものはその人のものな訳で、そこに対して私が「なんだこいつ!」と思い、言動が理解ができなくてもああだこうだ言ってはいけない

 

文化の差から生まれたであろうその子個人の考え方は尊重し、配慮しているつもりです。

 

 

もう一つエピソードを紹介すると、韓国に住んでいる日本人の友達が「この前ベトナム人の友達とご飯食べに行ったんだけどめっちゃクチャラーできつかった」とのこと。

 

これに関しては、、人を不快にさせる行動として文化とかの問題ではなく、個人の性格によるもの?(私の結婚式ドタキャンのケースも私を不快にさせてはいるが)

 

 

どこまでが文化の差で、どこまでが個人の性格によるものなのか、というのは考えてもわからない。

 

ただ、大事なのは、その後どのように収束の方向にもっていくかな気がする。

 

私は、キャンセルした友人に対して、気にしていないそぶりを見せて「了解~大丈夫!(笑) また今度会おう~」と上っ面で返信した、

 

自分が傷ついたことは言わなかったし、直接彼女に文句を言うのではなくそれをブログに書いている。

 

友達もクチャラーの人に対して注意をせず、気分を害したことも伝えることができなかった。そして言わずに私に愚痴ってきた。

 

もし文化差によるものだったらあんまり口には出せない。でも個人の性格によるものだったら?境界線がわからないからこれまで何も言えなかった。

 

勝手にそれが配慮だと思っていた。

 

でも、どっちかが我慢するのではなく、正直に伝えてみてもよかったのかもしれないな。

 

文化によるものでも個人の性格によるものでも話してみなきゃわからない。

 

ブログに書いたり誰かに愚痴るのではなく、自分の気持ちを相手に伝えてみないと和解には繋がらない。

 

今更、掘り返すことはしないけれど次回似たようなことがあれば「対話」を試みてみることにしよう。

 

 

こんなことを書いているうちに、別の友達が一緒に行ってくれるとの連絡が。

大感謝。ありがたい。一安心。