檸檬の備忘録

私の言語と感情を詰め込んだ、自分のため誰かのための備忘録

孤独ということ①

こんにちは。檸檬です。

 

 

「孤独ということ」このブログで扱う初めてのテーマが思いっきり暗いものでびっくりしています(笑)

 

ただ、ここ最近ずーっと考えているテーマでもあるのでここに書かざるを得なかったのです。暗すぎる話にはしないので一緒に考えてくれる人がいれば嬉しいです!

 

コメントも大歓迎です!!

 

 

 

なぜこんなことを書いているかというと、私自身ここ最近ずっと「孤独」を感じるからです。

 

と言うのも、私は現在韓国で大学院生をしているのですが、勉強をすることってほんとーに孤独な作業だと思うのです!

 

毎日論文を読んだり、書いたり、発表の準備をしたり…図書館や自宅、カフェでひたすら本やパソコン、iPadに向き合いながら、頭の中だけで作業が行われています。

 

今は、夏休みで授業がないので尚更一人の時間が多く、気づけば

 

「あれ、私もしかして2日間ぐらい声を発してないのでは…」

 

といったこともしばしば。

 

たまには、友人と会ったり、太陽の光を浴びようと散歩をしたり(最近は暑すぎるのでやめました)、趣味の展示会や雑貨屋巡り、映画を見たりしているのですが…

 

一人になった瞬間、再び強度の孤独を感じるのです。

 

確かに、自ら教授のもとに赴いたり、研究室に通ったり、先生(友達)たちと共に研究を行うこともできるのですが、私は結局一人でだらだらと作業をすることになってしまっています。

 

勉強をしているといっても、大学の勉強の延長戦のようなもので「大学院生らしい研究」というのには程遠いのですが…

 

自分には専攻分野に関する知識が圧倒的に足りなくて、もっと勉強しなくてはいけないことがたくさんあります。

 

 

私は大学院で勉強をする目的があります。また別の記事で詳しく書くつもりではありますが、私には夢があります。

 

「文化や価値観が異なる人々の考え方や気持ちを、韓国語を通じて橋渡しをしたい」ということです。

 

意思疎通のためには言語が必要で、言語にはその言語を話す人々の古来からの文化や価値観というものが込められています。

だからその国の言語を理解することが、その人自身を理解することに繋がると私は考えています。

 

少し話が逸れましたが、私にはこのようながあるからこそ、韓国の大学院にまで来て勉強をしているのです。

 

しかし、いざ来てみると自分の行動範囲の狭さや挑戦心の低さなどから、一人で勉強をすることがほとんどです。

 

夢のために身につけなくてはいけない知識はたくさんあるし、孤独を感じている暇など本当なないのです。

 

これは私の大きな矛盾ではあるのですが、

 

「自分のやりたこと」「今やらなければいけないこと」

 

が結びつかなければいけないのに、なかなか体と頭が動かないことが多いです。

 

自分の環境は自分の行動に基づいた結果であり、今の孤独な状況は自分が招いた結果ではあるのですが、やはり苦しいものは苦しいのです。

 

 

 

では、このような孤独を感じる状況とどのように向き合うのが自分に合っているのか?

 

まだ答えは出ませんが、自分の中での落としどころをなんとなく見つけたいので、次回の「孤独ということ②」に続きます。

 

書くことによって少しでも光を見出せるといいなあ、と願って。

 

どうぞ、お付き合いくださいませ。