檸檬の備忘録

私の言語と感情を詰め込んだ、自分のため誰かのための備忘録

アイドル

こんにちは、檸檬です。

 

 

毎日毎日暑すぎやしませんか…

 

訳あって日本に一時帰国中なのですが、韓国よりも湿度の高いこちらは同じような気温でもめちゃくちゃ暑く感じます。

 

でもメロンソーダもあるし、プリンも食べたしお寿司も日本酒もぜーんぶおいしい…

 

 

ところで、こないだニュースで、夏祭りで幼稚園児たちがお神輿を作って担ぐはずでしたがこの猛暑でお神輿の展示に終わってしまったという場面を見ました。

 

大人は楽しそうに神輿をしていましたが、子供たちはお神輿の展示だけに終わりました。「展示だけでもうれしい」と言っていた女の子に心が痛みました。

 

大人が招いた地球温暖化を子供たちが背負わなきゃいけないという現代社会の縮図を見た気分になりました…

 

 

本題に入りますが、昨日、私にとってショックな出来事がありました(泣)

 

なにわ男子のだいちゃんに熱愛が出たではありませんかあああ(´;ω;`)

 

私には、なにわ男子という推しがいるのですがメンバーから熱愛が出ました。最推しは長尾謙杜くんですが、箱推しでもあるので最初に聞いたときはショックでしたね~~

 

 

でもよく考えてみると、このショックな感情って何なのでしょう。

 

アイドルというのは、自分を商品化し、消費してもらうことで成り立つ職業なのでファンが求めるかたちとなっていくのは自然なことですよね。

 

ファンは自分たちが求める理想像を作り出し、推しの姿をあてはめます。

 

だから、自分の推しに対する「期待」が勝手に形成されていくのでしょう。

 

アイドルはファンの期待に応えるように活動し、ファンはそれを見て満足する。アイドルとファンの関係性においてはwin-winですね。

 

アイドルが表舞台に立ってファンに笑顔を届けるお仕事をしているときは、ファンの「期待」はアイドルにとっても大きな原動力になると思いますが、

 

それが反対方向に向くと時にアイドルを危険にさらう武器になります。

 

特に怖いのは、今回のようにアイドルではなくプライベートがファンに漏れたときです。

 

だいちゃんを出すのであれば、アイドル西畑と一人の人間としての西畑大吾は異なる人物のはずなのに、一部のファンはプライベートにもアイドル西畑像を「期待」しているので人間としての西畑が出現すると衝撃を隠せませんよね。

 

期待のギャップが大きければ尚更のこと。

 

何事にも共通して言えますが、他人に期待しすぎるとこはよくないですよね。

自分が相手に期待しすぎた余り、自分にとって都合のいい風に相手を解釈してしまい、理想像を形成することになったら相手が自分にとって期待はずれの姿を見せたとき、

 

私はあなたに期待してたのに!裏切られた!

 

といった感情に変わってしまうことでしょう。

 

 

そもそも、

アイドルという言葉自体に違和感を覚えるのは私だけれでしょうか。

 

広辞苑でアイドルという言葉を調べると以下のように出てきます。

 

①「偶像。イドラ」

②「あこがれの対象者。人気者。特に、青少年の支持する若手タレント。二葉亭四迷浮雲「此方はその―の顔が視度いばかりで」。「―歌手」

 

アイドルは自分から名乗るものなのではなく、

偶像崇拝のように(笑)信じて応援してくれるファンがいて、

自分がその人たちのあこがれの対象なったときに、

 

他人から呼ばれる名前のことを指すのです。

 

私、アイドルです!と自称するのではなく、この人は私にとってのアイドルだ!と他称されるからアイドルになれるということではないでしょうか。

 

そうかんがえると、

ファンがいるからこそ輝けるアイドル、

輝ける場所を提供し、逆に陥れることもできるファン。

 

両者の関係をうまく維持するのって難しいですよね。

 

 

だいちゃんの熱愛を聞いて私もショックを受けたのは事実だし、アイドル西畑を求めすぎていましたね。

 

ただ、アイドルの姿しか見たことがないので衝撃を受けるのは突然ですよね。

 

 

しょうもないようなゴシップネタをちょっと深く掘り下げてみた、の回でした!(笑)